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三蔵法師 —— 心

心を修めれば、大いなる道が生じてくる。
-- 西游記

胸を切断偽の僧侶、陈惠冠による

上記の引用は「西遊記」の最初の行であり、物語の内容は何であるかを教えってくれる。情念は強力であり、私たちは簡単にそれらに執着する。心を育成するのは自分を情念から解放するということを意味する。

機会は注意が散漫思考を生じさせ、思考は空想を、 空想は情念を、情念は悪魔を生じさせる。
-- フィロカリア文中、シナイのグレゴリー

「西遊記」のある冒険で、悪魔は、それは自分が非常に長く生きることを可能とする金液を作るために、三蔵法師の非常に純粋な心を取得しようとする。悟空は三蔵法師に身を変え、悪魔を会うにいく。

それを受けとった偽の三蔵、着物をくつろげ、胸をぐんぐんと張るなり、左手で腹をさぐりつつ、右手にした匕首で、ヒューという音とともに、腹を切りひらいたものです。すると、腹のなかから、どくどくと心肝が流れでてきました。偽三蔵は、そのたくさんの心肝を、血をぽたぽた滴らせながら、ひとつひとつ、えらだしては、みなに見せるのです。なんと、赤心・純白心・黄心・けち心・貪り心・やきもち心・比べたがり心・勝ちたがり心・高望み心・威張り心・殺したがり心・惨たらし心・怖がり心・用心・よこしま心、それに、名もつけようもない暗い心。
-- 西游記


多くの心は、人が持っているたくさん矛盾する情念を象徴する。心を育てることは自分の生活に対して「現在に存在したい」という願望を育てることによって、自分の生活の中で「プレゼンス」を最も大事にするということを意味する。

自分の頭の中にある戦いを見ているマンジュン、ペルシャのミニチュア

「現在に存在する」努力をする時に、自分はすべての他の欲望や思考、つまりすべて他の心を置き去る必要がある。 しかし、「内なる神」を目覚める目的を持っていると、自分の多くの部分、特に「本能的センター」はこれに興味を持ってなくて、それに強く抵抗するということを確認するだろう。目覚めしたい部分とそれに興味を持ってない部分の間で、闘争が始めまる。すべての秘教的な著作の中に、人の頭の中に戦争があるこのペルシャの画像のように人の中の「複数の<私>」の間に闘争を象徴する戦争についての一節がある。


天の扉を開くための戦争がある。そのような戦争を戦う運命に生まれた戦士は幸いである。
-- バガヴァッドギーター

師弟の受難はまだすんでいないのだよ。だから、たくさんの神が下界に降生し,
そなたたちに難儀を与えなければならんのだ。
-- 西游記


三蔵法師は「現在に存在したい」という心の願望を表す。彼にとって最も重要なことは霊山(プレゼンス)に到達することである。彼はこの目標を達成するためにすべてを放棄する用意がある。

西遊記の中国のテレビドラマの三蔵法師

心が生きっていると、あらゆる悪魔が現われる。 しかし、それが消滅したときに、 悪魔も消滅している。
-- 西游記

瞑想の沈静は、悪霊を生じさせる。
-- 西游記

「心が生きっている」というのは、「現在に存在した」願望とそのための努力とを示す。 この願望が現れ、そしてそれからその努力をすると、悪魔、つまりその努力を妨害しようとする思考が現われる。「現在に存在しよう」とすれば、「低次の自己」または悪魔、はこの努力をできるだけ邪魔し、なぜならば「高次の自己」が「現在に存在する」と「低次の自己」は受動的になる必要がある。


三蔵が霊山に達すると、彼は死すべき体を投げかけている。

Gently and strongly the Budhha pust off the boat, at which a corpse came floating downstream to the horror of the venerable elder. “Don’t be frightened, Master,”,said Monkey. “That’s you”. “It’s you, it’s you”, said Pig.
Friar Sand clapped his hands as he put in too, “It’s you”! The boatman gave a call,
then also put in, too, “It's you! Congratulations! Congratulations!”
-- Journey to the West

三蔵が死すべき体を投げかけているということは、自分が「プレゼンス」を達成した為に「現在に存在したい」願望とそのための努力はも必要じゃない。

少年は禅心を騙す。
猿と馬はナイフを持って戻て、木母は空である。
-- 西游記

上記の引用は40章のタイトルである。この章では悪魔の少年が、禅心と呼ばれる三蔵法師を、捕まえる。三蔵は、霊山の途中で悪魔に何度も捕まえる。 これが象徴するのは、自分が「現在に存在する」ことをしようとする時、別の思考が入り込んで、自分がそれを聞くために、「現在に存在する」願望が消えてしまう。

この妖怪、空中にて一陣の旋風を巻きおこし三蔵
をさらっていきました。
-- 西游記

三蔵は悪魔に、陈惠冠による

私は見つけにくい悪魔の戦士インドラジットである。
私は人目につかず、魔法によって視界から隠されている。
私は邪悪な思考の荒れ狂う風の背後から攻撃をしかける。
-- ラーマーヤナ

邪悪な思想というのは「現在に存在する努力」を中断する思考である。良い思考のは「現在に存在すること」を思い出させる思考である。 例えば「現在に存在する」時に「友人が昨日約束を守らなかった」という批判が現われる。もし、この「私」を通過させるよりも、それを耳を傾けるならば、「現在に存在する」努力を全く忘れってしまうだろう。「私は人目につかず、視界から隠されている」とういのは「低次の自己」は「現在に存在する」関係がない「私」を生み出すを意味する。観察することせずに、つまり「視界から隠されている」、自分はこの思考を耳を傾け,「現在に存在する努力]が停止する。これは気付いてない内に、心理学的な睡眠の状態で起こり、その結果「現在に存在願望」はなくなる。 三蔵法師に象徴されるその願望は最も重要な願望で、守れなければなりません。


心底の地は常に掃き俗なる感情の塵も取り除き
輝く毘盧を陥穽に落としてならぬ。
-- 西游記

心を掃くというのは、「プレゼンス」に無関係の「私」を観察し、それらを耳を傾けることなく、執着せずにこの思考を単に手放しながら「現在に存在すること」を継続する。しかし、 三蔵法師は非常に純朴で、悪魔の変装を見抜くことができないので、何度も捕まえる。この内的な意味は、自分の心はこれらの思考に関心を持って、その瞬間、これらに耳を傾けるのは致命的であることを理解しないということである。悪魔は美しいまたは緊急の考えを表現する美しい若い女の子または老婆に身を変え。 したがって、三蔵は単独で霊山に到達することはできません。

西方の仏様は、天竺国なる大雷音寺におられますから、ここから十万八千里もの道のりがありますぞ。そちらさまのように、たったひとり、馬一頭で、ほかにお仲間もお弟子もなくては、どうしてたどり着けますかの?
-- -- 西游記

これは「現在に存在したい」という願望単独は十分ではないと言うことを象徴する。悪魔は非常に賢いので、「プレゼンス」を達成するための知識と道具が必要である。

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